C'est la vie

新大陸の湖畔

誰にでも分かるもの

 

会えば不思議な気持ちになる人が時々いる。そういう感覚とか、いわゆるファーストインプレッションとかいうやつは割と大事にしたい。

そういう人に限って、言葉で限定したくない気持ちになる。この人はこんな人だよ、っていうのは一番邪魔でそんなモノサシなんかはいらない。

 

「ヤバイ」って言葉は割と好きだ。全部を曖昧にしてくれるから、安心して逃げていられる。こういうモノサシはコミュニケーションを取るという点では大事な鍵になるはず。共通認識を深めるためによく使ってしまう。

「ヤバイ」を使わずに「ヤバイ」を表現出来る人々には脱帽。もうホントヤバイ。

 

小さい頃から宝物のように持っていたギルシャハムのフォーレ小品集のCD。試しにSpotifyで検索してみたら普通にあった。なんか寂しくなった。いつも頭が悪い人みたいに「ヤバイ」という超絶普遍的な言葉を好んで使うくせに、この時ばかりはこの普遍性は好きになれなかった。どこにでも転がっている私のノスタルジー。汚された気がして、ちょっとつまんない気分になる。

 

誰にでも分かる、交通手形みたいな、そういうのってみんなどうして使い分けてるんだろうな。みんなこんなちょっぴりほろ苦いような思いをしているのだろうか。