C'est la vie

新大陸の湖畔

しばらく宝塚はいいや

案の定、宝塚の時間は止まったままだ。

 

阪急電車西宮北口駅にて、宝塚線、小林駅にある階段に向かうために後より3号車の一番ドアに整列。携帯を片手に弄りながらでも身体が勝手にそこへ向かう。

今日の晩めしがなんだの、友達の面白い一発芸を思い出したり、手付かずの宿題のことを考えたり、音楽のこと考えたり、好きな人とか、きっと人生とか、将来とか、自分とか。きっといろんなこと考えていた。

 

懐かしさとか全然ない。ただそこに街があるだけで、胸が締め付けられたり郷愁に襲われたりなんかしない。この事を喜ぶべきなのか、悲しむものなのか分からないけれど、

私の中ではもう宝塚は切なさでもなく、愛でもなく、他人でもなく、ただそこに転がるアルバムみたいなぐらいの価値。

 

わざわざ開くこともないけれど、多分ページをめくればそこから再生できる、ぐらいのものだ。思い出は人を芯からはあっためてくれない。