C'est la vie

新大陸の湖畔

世界が終わる夜に

 

 

神様がその人から何かを奪うとき、一体その心は?

例えばお気に入りの傘、思い出の手紙、言葉、大事なペット、最愛の人、若しくは自分の命。

その人から何かを奪って、残された人間は何を思えば良いのだろう。残されたものの痛みは?どうして奪っていってしまうのだろう。奪い去ったあとに残された何かに気付くのはどれだけの時を重ねた頃だろう。

 

かと思えば、奪われた命の重みの違いを感じる日々にどう向き合えば良いのだろう。電車に跳ねられた人だって、本当は同じ命の重みなはずだけど、やっぱりそこまで頭とか気持ちが回らないってのは現実なのかな。遅れた電車のことばかり考える人々が悪いとか言いたいんじゃなくて...。どうしても拭えない違和感とか、心に大きな穴が空いてしまったような何か大事なことが抜け落ちていく喪失感とか、そうでもしないと日々をやり過ごせない忙しすぎる現代人の話だとか...。

 

 

たとえば孤独な夜が過ぎ
わりと良い朝が来る
どうせ変わりやしないのに
みんな何かに手を合わせてる

たとえば虚しく時が過ぎ
馴れ馴れしい静寂が来る
しまった!もう世界は終わっていた

あの子もその子も不安ぶっ飛ばしてさ
いけてないジョークで Hey Hey Hey

わたしが神様だったら
こんな世界は作らなかった
愛という名のお守りは
結局からっぽだったんだ

たとえば砂漠で花が咲き
また不幸の種がなる
どうせ育ちやしないから
みんな何かに目をそらしてる

たとえば優しく風が吹き
後悔の兵隊が来る
しまった!もう心は穴だらけだ

今もどこかがいろんな理由で
壊れはじめてる Hey Hey Hey

わたしが悪魔だったら
こんな世界は作らなかった
命の砂時計は
結局からっぽだったんだ

暇つぶし出来る話題を
くだらない笑い声と嘘を
探し続けるの
わたしからっぽだから

わたしが神様だったら
こんな世界は作らなかった
愛という名のお守りは
結局からっぽだったんだ

わたしが悪魔だったら
こんな世界は作らなかった
命の砂時計は
結局からっぽだったんだ