C'est la vie

新大陸の湖畔

まとまりのない話たち

 

世の中には二種類の言葉を駆使して二面性のある自分を揶揄する人間がいて、その人たちが使う言語が全く違ってくるのは至極当然の事なのだが、それは結果として自分の目の前に「選択肢」としてぶら下がって来るわけだから多くの混乱を引き起こし、だからじゃあなんだよって訳がわからないまま家路につく。

どの物事にも裏と表、陰と陽が存在しているのは確かで、もしかしたら白と黒以上にある側面というのは存在していて、だからグレーとかヤバイ色が出てくるわけなんだけど、いつまでもある側面から見た景色に固執し過ぎるのは危険なことだというのは赤ちゃんでも分かる。何にでも保険をかけたがるのは私が自ら進んで保険をかけている、と言うよりは保険をかけさせるように促した昔の環境が原因だし、こんなこと人様に言えば人のせいにするなと叱られて当然なんだけど、なんかそれはそれでムカつくから見えないところでこうやって文句を垂れる。

毎回同じところで躓いて、何でだろう何でだろうって逡巡して、結局は同じ場所に帰ってくるアホらしさにムカついて、原点回帰とかそんな生ぬるい感傷になんか浸ってやらないからな、私は。お前は一生そこでうんうんって頷いて感慨にでも耽ってろ、って過去の私に悪態付く。そうでもしないと一生同じ場所から抜け出せないじゃん、って同族嫌悪とそこに微かに存在する共感をくちゃくちゃに丸めてゴミ箱に捨てよう。

遂に教職を取ることをやめた。順調にエリート優等生街道(笑)から落ちこぼれに歩みを進めている。目に見える形での決別は最高に気持ちが良くてその反動に来る閉塞感に息が詰まる。たった一コマのために往復三時間を費やすほどあの学校は魅力的かと問われたらヤバイヤバイヤバイ。考えない方がいい。数人にしか言ってないのに、次の日には話してもない人間から「教職やめるんだって?」って言われた。早くあんな狭いコミュニティから抜け出してやる。それか誰にも見えない暗いところでひっそり生きていたい。それで演奏家目指すとかどういう神経してのって話になるけれど。まあ大して人はそんなに自分のこと見てないよなって後になって自意識過剰な思考全体に恥ずかしくなるのもいつものお決まりで、結局いたちごっこじゃんって振り出しに戻る。

文章が下手。そんなことを思いながら最寄り駅の高架下に住み着く猫の頭を撫でる。不在の存在を認めたとたんちょっと涙が出そうになって慌てて自転車を漕ぐ。空を仰げば飛行機が今日も飛んでいて、そう言えばあの人が飛行機にもちゃんと道があって毎回決まった場所を通るって教えてくれた。私が知らないことをよく教えてくれる。それから意識してみたら確かにいつも同じ場所を同じ方向に飛んでいく飛行機が見える。不在の存在ってずっと居ないということが続くわけで、不在に気付かなかったらそれは別に不在でもなんでもない。ショパンノクターンとか舟唄とかベタな曲ばかりがぽっかり空いた心を絡め取っていくようで、無性に涙腺を煽ってくる。

 

知らないことを教えてくれるのは好き。こんなつまらない原点回帰から手を取って連れ出してくれそうだから。いつまでも同じ場所に居るのはイヤ。よちよち歩きの自分が好きになれない。なんか本当にひっそり生きていたい気分だ。

 

関係ないけど、5本指ソックスは正義だと思う。コンクリートに舗装された床を歩き回る現代人の、あり得ないほどにバランスを取れなくなった足裏とあり得ないほどに膝にかかる負担、これらの原因ともなる扁平足はこれで少しは改善されると思う。どうも足の指を使わない歩き方は外反母趾になるらしい。健康増進の一環として定期的に5本指ソックスの日を全国的に設けたらいいのに。