C'est la vie

新大陸の湖畔

予防線

 

昔、小学校の頃に通っていた塾の話。

塾っていうには小さすぎてそんな仰々しいものではなく、個人で経営している近所のおばさんに算数と国語を習いに行っていた。私はまだ3年生で、そこにいた5年生とか6年生の人が私のお姉ちゃんみたいな感じだった。

今でもそうだけど、自分の知らない世界の話はとてつもなく遠い国の出来事みたいな感覚がする。お姉ちゃんたちの話は魅力的でちょっと「大人の味」がしそうな話ばかりだった。私はそれが好きだった。

 

「なあなあ、嬉しいことがあったときってめっちゃテンション上がるよな?」

「あー、まあ上がるよな。でもさ、上げすぎたときに実はそうでもなかったときの落差ってヤバない?」

「わかるわかる。めっちゃがっかりしてテンション上げ損みたいなとこある。」

「だからさ、うちは嬉しいことがあってもあんま喜ばんようにしてんねんか。やったらさ、その後悲しいことあってもなんか耐えられるやん?」

 

10年以上経った今でもこの会話はなんだか覚えていて、自分のなかで反芻していくうちに私もいつの間にかこの考えが染み付いてしまっていて、擦っても取れない。大きくなって、こういうのを「予防線を張る」っていうことだったんだって気付いても何年も頼りすぎたこの思考回路はなかなか捨てられない。

ちょっとカッコつけている人のカッコの付け方が鼻につくのも、「あー、こいつも予防線張ってるな~」って嫌いになって、でも多分それは同族嫌悪からくるそれだ。

 

言葉に何年も縛られるのは良くない気がする。