C'est la vie

新大陸の湖畔

 

思春期を迎えた青年が通過儀礼のように感じる「人生とは何か」というあまりに普遍的過ぎる疑問は、言葉にすること自体あまりの薄っぺらさに危険性を孕むものではあるが、何か一度本物とやらに近付きたいと思ってしまった人間が可愛そうなことに終わりまで見続けさせられる拷問のような問であることには間違いない。

僕たちはもう当たり前のように「音楽」というある意味恣意的に名付けてしまったこの意味の分からない概念に対して何の違和感もなくその空気に触れることが出来てしまう次元には来ていた。考古学のような、間違い探しのような、だまし絵のような、職人技のような、恋心のような、ちょっぴり切なくなるような、正解がないような、そして「人生」のような。

 

「あの先には海が見えるらしいぜ」

そんな確証もないような噂を信じて地平線へと歩みを進めることは、コンパスを持たずに砂漠を浮遊する恐ろしさとか、言葉では推し量れない怖さと行き着いた先に何が見えるのか分からない不安と、ただまっすぐに早く太陽に煌めく海を見たい欲求と、もうなんだか分からないぐらいごちゃまぜだ。

きっと今度こそ、と勇でて挑戦するものの案外パズルのピースは揃っていなかったようで、そんな自分を卑下するわけでもなく、しかし悔しさを滲ませた涙でコンパスが見えなくなるこんな夜でも世界は許してくれるだろうか。

気付かない方が幸せなことがあるって言うけれど、どうしても今だけは気付かないことの方がよっぽどの不幸だと声を大にして言いたい。気付いたら幸せじゃないかもしれないけれど、そんな不幸に喘ぎ苦しみながらでも海を探しに行きたい。せめて今だけはそれが幸せなんだと信じていたい。

はやく、はやくその純度の高い炎で身を焦がしてほしい。