C'est la vie

新大陸の湖畔

大学生の憂鬱

元来、特別な力というものにはある程度の憧れを抱いていた。小さなころ見た夢に自分で興奮を覚え、その通りにはならなくとも同じような感覚が味わえたらな、という妄想は好きだった。自分の夢に感動していたあの頃の私は単に自慰行為を繰り返していただけだったのだろうか。

そして今、あの日見た夢が確実に温度を失いながら薄れていくような感覚がする。

自分は思ったよりもつまらない人間で、スーパーマンみたいな誰かを救うような力はなかったし、上野公園の公園出口に花見のために列を成すあり得ない人の数にイライラを隠せないような小さい人間だし、この死ぬほどつまらない現状に億劫になっている自分の愚かさにも戸惑いを隠せない。やるべきことが山積している現状からは目を逸らして、死ぬほどつまらない日々を死ぬほど楽しい日々に塗り替えられるのは自分しかいないのに。

夢は叶う、というのは夢が叶った人間がメディアの前で「私こそは夢が叶いました」というから夢は叶うという文言が世の真理みたいな風潮が構成されてしまうのであって、その裏側に夢は叶わないものなのだと敗北していった人間がきっとごまんといる。夢は叶う、よりも自分が世の中にあるある種の役割として歯車になる、という意識のほうがきっと生きやすくなるし、それが真理なのかもしれない。知らんけどな。

明日から授業が始まって、また自分の不甲斐なさとどうしようもできない愚かさに手が付けられなくなる日常が始まるような気がする。そうしていつものように「丁寧に今を積み重ねよう」と、どこかの人生How to本にでも書いてそうな言葉に自分を当てはめて生きていくと思う。いつになったら夢は叶うという言葉の呪縛から逃れることができるのだろうか。