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四月への雨

今日は久々に何もない一日を頂いたから、せっかくだし海を見に行こうとも思ったが天の思し召しにより朝から春の雨が優しく降っていてなんともこの外出する気の失せるお天気に素直に従うことを思う。春の雨はだんだん暖かくなるための道しるべみたいなものだと思っていたのに最近めっぽう冬に逆戻りしている感じがして、歩きながら色んな場所で鉛色の冬を思い出す。こんな日の朝はくず湯をゆっくり飲みながらベートーヴェン暗い曲でも聞いてまったりするのがいい。最近は電車の中でも座った瞬間に記憶がなくなるぐらいには疲れていたからこういう日が本当にありがたい。

生まれてから数えると引っ越しをもう7回経験したことになる。海の近くだったり、山の上だったり、雪がたくさん降るところだったり、下町だったり。でも一番は海の近くだったあの家が好きだった。夕暮れの時間がゆっくり流れることが許された朱色の匂いを纏わせた空気が海の上で風になって駆けていくのを見るのが好きだった。

自分の部屋を整理していたら昔に図工の時間に描いた絵が沢山出てきた。その絵たちにはほとんどと言っても良いように『海』というモチーフが出てきていた。ある時は魚だったり、またある時は海の上に浮かぶ雲だったり。(その次に多いモチーフは『秋』だった。) 海が好きすぎてちょっと自分でも引いた。海、特に水については何か特別な感情を抱いていて、きっとそれは十人十色生きている人の数だけ思う水の色があるのだと思う。

 

ミレーが描いた『オフィーリア』はご存じだろうか。私が思い描く『水』という理想に一番近い絵画である。(当時の時代背景や手法については調べれば出てくるし、それは私の血肉となって出てきたものではないのでここでは割愛)

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水という本来人間を生かすも殺すこともできる無限に命の形を変える存在の中で今にも溺れそうになっている女。だけど表情はどこか恍惚としている。もうすぐ息絶える女の横ですべての時間が緩やかに停止しそうな感覚に襲われる。このまま誰にも気づかれない内に女は死んでしまうのだろうか。この女のように死ねるならそれもそれでアリなのかなとか不埒なことも考えた。

 

あー海行きたかったな。