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Le Nocturne

深淵を覗く時

昔の話

少し昔の話をしようと思う。

きっと今も昔も生きていく年数だけそれぞれの歴史があって、人には人の歴史の重みがあると信じている。人には人の乳酸菌よろしく。

現在私も沢山の思い出を絶賛大量生産中だ。質も量もバラバラで、だけど死ぬときに例え持っていけずとも記憶は匂いや色や音を携えて何度でも甦らせることが出来る。過ぎ行く過去が取り戻せないように、そして未来が決して過去の延長線上にはならないように。

そんな私のたかが知れている歴史のなかで、何故か流血事件だけが群を抜いて多いように思える。つい最近で言えば料理中に包丁を落として足の甲に刺さったりもした。馬鹿なもので私は膝から下の怪我があまりにも多い。

小さい頃、まだ自転車二人乗りがそんなに悪いことではなかった頃、祖父の自転車の後ろに跨がっていた走行中に、油断した私は気付いたら左足が自転車の後輪に巻き込まれて暫くのギプス生活を余儀なくされた。

小学校二年生の頃、昼休みの予鈴がなったら多くの生徒が外靴を片付けるために狭いくつ部屋に殺到するのだが、突然私の前を走っていた下級生が手に持っていたピンクの縄跳びを落としたらしく拾うためにいきなり屈んだ。気付いた頃には手遅れで私はそいつを跨ぐことも出来ずに石に躓く要領で派手に転んだ。不幸にも地面が荒いコンクリートだったために凄い勢いで膝はずる剥けになり、今となっては笑える話だが暫くその辺には私の血痕が落ちていた。雨が降っても何故か消えない私の血痕に同級生は散々私をいじり「これは私の血である」と、イエス様よろしく何とも冗談に聞こえないギャグを私は連発した(当時通っていたのはカトリックのミッションスクールであった)。今でも思うがこれは私は悪くない。いくら私の運動神経がそんなに宜しくないという事実を抜きにしてもだ。

小学校低学年の頃に、山の上にあった私の学校は駅までほぼ一本道だったのでよく誰が一番に駅に到着するか競争をした。その日は雨が降った後のぬかるんだ坂道だったのでただでさえ滑りやすいのに、ローファーというコンボ技でもう滑ることは必至だった。案の定私は急カーブに差し掛かる所で派手に転け、まだ乳歯だった右前歯が欠けた。鼻から鼻血が止まらず、当時親に持たされていたピピットホンでワアワア泣きながら電話を掛けたこと、今でもはっきり覚えている。

このように、黒歴史ならぬ血塗られた赤歴史が多いように思われるが、人間いつになっても肝心な所では成長しないみたいだ。悲しい。

 

茶番は置いておいて(しかし以上の話は全て実話である)昔話を誰だってするだろうし私も嫌いではないのだが、旧友に会うことで「昔は良かった」と連呼せざるを得ないこの現在に大変嫌気が差すことが多い。旧友なのだから、当然話の話題は昔話にシフトするのは当たり前なのだろうが上京してから旧友とご飯に行くもののそれがつまらない私はいつしかご飯に行くことも断るようになり、そして誘われなくなった。振り返りたくない過去があるのではなく、単純にそれってそんなに楽しいの?という所である。なにそれおいしいの?って感じ。(強がりに聞こえるならそう取ってもらっても構わない、がこれは本心だ)

本質に迫りうる話を多くの人と語らいたくないので自然と付き合う人間が限られてくる。

 

もうひとつ、最近気付いたことだが私は人の話を聞いているときにどうも頭のなかで色々と処理をしているみたいで、相手が何かを言ってくれたとしてそれに瞬時に反応したり感想を言えたら良いのだが、「この感想、さっき言ってくれたことと被るな」とか「私がわざわざ二回も同じこと言う必要ないな」とか単に感心してまだ自分の意見が纏まってなかったりする。私はよく分からないが考え事をしている自分の顔は多分かなりのブサイクだ。人によっては「そんな意見認めない」と言わんばかりの不貞腐れた顔になっているはずだ。というかそう見えても仕方ない顔の造りになっている。なので、結局相手には興味が無さそうに見えたり訳が分かってないように見えていたらしい。

それも関係するのか知らないが、私は人に対して怒れない。怒らせるようなことをされたとしてもその時はまだ怒りの感情が湧いておらず、何となくある違和感をよくよく調べてみたらどうも怒りに似た感情らしくジワジワと「あれ、怒ってる?今私怒ってる?」といった過程で怒るのだが、時すでに遅しということ。

 

人間関係とは実に複雑で、それは私自身の力でなんとかなったりならなかったりすることばかりだ。人とのご縁は自力ではどうにもならなくても、誰と付き合っていくかは何となく決めてはいけるものだ。だけど思えば長く続いた「親友」的なものは私には居ないし、どんなコミュニティにも云わば広く浅くでしか接して来なかったのでこうして今ツケが回ってきている。一人が好き、という事実がこの事態に更に拍車をかけているようだ。今どんなに仲が良い人ともいつか別れがやって来るのだろう。始まると言うことがあるとするならば終わりが必ずある。人間関係とはそういうことだ。(異論認めます)

影で色々言われているのだろうがそれをわざわざ弁解するほど頭も良くないし、実際にそう見えてしまうのだからそれもそれで本当の私なのだろう。

それでも私が人付き合いを完全に断たないのはそれぞれが握る不思議な要素的なものが出会ったときに起こる化学反応があるからだし、これぐらいならいくら人付き合いが苦手な私でも分かる。あと、物理的に人付き合いを断つことは無理ってのもあるけど。

 

少し弱っている自分のための応援歌のような今回の投稿。でも面白いということもちゃんと分かっている。