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Le Nocturne

深淵を覗く時

本当の居場所

私たちは生きているうちは何かしらの形態を取ってコミュニティというものに属している。どういったコミュニティに属するかは己の内面が大きく関わってくるものだ。自分の居場所というものは常に流動的で私の場合同じコミュニティに一年以上留まり続けた記憶が全くもってない。これは嘆かわしいことなのか、喜ばしいことなのか分からないが振り返ってみれば仲の良い奴は1年もたてば変わっていてまあ少し寂しい。「ズッ友」なんて言葉が流行ったときもあったが私にはそれがない。
私がFBで少しショッキングな投稿をした時にその反応が面白いと感じることがあった。上京してから一人になる時間が圧倒的に増えて私は「死」とはどういうことかを深く考えるようになった。これは死にたい訳ではなくて(むしろその反対だ)、私たちがこの世に生を受けてから着実に歩みを進めている「死」の正体について考えるべきだと思ったからだ。「死ぬことを連想させるのが不謹慎だと言うのは少しばかり違う。誰もが死に向かって生きているのにどこが不謹慎なのか」と川上未映子が言ってた。全くもってその通りである。しかし、残念ながら私の考えは家族には分かってもらえなかった。少し悲しかった。あまりにも私が死ぬことについて煩く喋ると嫌な顔をされそうなのでそれ以上言うことが出来なかったが、結果として今の私は生きることに圧倒的感謝の念を抱いている。これは時間をかけて分かってもらいたい。そしていつか私の家族との間に本当の居場所を見出だしたい。
日々のコミュニケーションを取るために色んなコミュニティに属する訳だが、私はいつもどこかで自分の本当の居場所と言うものを探している。今のところまだ見つかっていない。いや、現時点で私が属しているコミュニティが嫌いと言うわけではない。好きな人も居るし、まず第一にコミュニティを好きになれずにそこに留まることはかなり苦しいことだ。常に疎外感を感じて生活することになる。ただ、私がこの土地、この人に根差して生きていこうという覚悟が今のところない。もしかしたら生きているうちに見つけることすら難しいのかもしれない。
今いる大学、今私を応援してくれている家族、友人、そのどこにも私は本当の居場所を感じ取れない。でも生きているうちにその一人一人と関わる時間なんて相対的に見たらかなり限られたものなのだ。私もこの先いつまで家族と過ごせるのかも分からない。だから今の縁がとても尊いもので決して投げ捨てたいものではない。
何故常に居場所を見つけたがるのか。それはこれからの未来にたいしての希望を私たちは強く信じてみても良いからだ。まだ見ぬ明日にもしかしたら私の本当の居場所があるかもしれない、という希望を持ち続けて私は今日も少しの空しさと戦いながら生きていく。

唯一、本当の居場所を今の私が感じることが出来るのは音楽をしている時だ。何故かは実のところまだ分からない。音楽のなかにこそ私の本当の居場所があるかもしれない。