C'est la vie

新大陸の湖畔

太陽フレアの恩恵

 

太陽フレアのせいで世の中の多くの人が上手くいかない物事を太陽フレアのせいにしてる。私は今日も太陽フレア関係なしに空振りしてる。

 

太陽フレアが関係あるのかはしらないけど、大きな地震が起こって、なるほど太陽がちょっと本気を出せば私たちはいつでも死ねる。

人間今日やったことが全てですっての、今なら心臓の真ん中をチクチク差してきて分かる。なかなか重くて動かない自分の中心を毎日毎日ちょっとずつ動かしていく。重い石像みたい。

重たいよー、重たいよーって感じてる自分はでもなんだか大きな流れで見たらちっぽけで、太陽フレアちょっとで挫けちゃうぐらいにはちっぽけで、家族のこととかで悩むのも、そんなこともきっとちっぽけなんだろうな。

 

 

言の葉のちぎり

 

前よりちょっと言葉を紡ぐのが下手になった。

 

本を読むと不思議な気持ちになる。

 

一緒のようで決して交わらない言葉と感覚。

 

言語化不可能。

 

大好きだった君が変わっていく。

 

そんなに好きじゃなくなってくる。

 

もっと僕らは、言葉よりも

 

愛に目を向けるべきだった。

 

言葉の切れ端で滲み出るパステルカラーの愛が

 

掠れた声をあげている。

 

ここにいるよ、ここにいるよ

 

ごめんね。

 

 

 

告白

 


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夕方なのに世界が青い。ああ、まだ夏だなって思った。

酷く目眩がする。遠くから何かがやってくる。雲間を縫った光のカーテンと、それを映す青い血が底を満たしていく。

幾千もの点が線になって面になって広がりをみせるこの海が、まるで僕らの音楽のようだ。

ひとつの場所に留まることで腐りそうになる自分を何とかして外に連れ出さなきゃと思って自転車を無我夢中で漕いだ。

後から思うと全てが図られたように何か起こっていると感じるのは最早必然であって、必然で埋め尽くされた海の中に身を投げてみたい。自分の中に流れる水が、それらがやがて海へと繋がる瞬間が、一時として枯れないように大事に水源を育てていく。

この人に会うために、今日を生きてきたんだと思えることは海を見ることと一緒で、そんな君といつか海を見に行けたらなって僕は思うんだ。

 

 

ワタクシはキノウのヨル

 

小学校の頃になかば強制的につけられていた日記を掘り起こす。よくよく読んでみれば、嫌々で書かされている空気が文字全体から浮かび上がってくる。何かを通り越してもはや苦笑いしてしまうくらいには、昔から本質的な何かは残念ながら変わっていない。自己嫌悪と周囲の顔色で形成されていったこのワタクシが、本当の心の奥底に眠っていた感情を掘り起こすには何かの力を借りねばならないようだ。

文末が決まって「楽しかったです」と「美味しかったです」で締められる数々の日記はある意味奇妙で恐ろしい。感情の欠如とでも言えそうで、でもよく読むとその裏側が見えてくるそれは筆圧や文字の乱雑さからも浮かび上がってきた。本当のことを言えない性分は小2のころから健在だ。欠如ではない、痛みに身を晒す勇気のない子どもだ。

 

どうせ生まれてくるなら、自分のことが大好きだったら良かったのに。

 

つまらない子どもだ。

 

ずっと涼しい夏が続いて、どうしようもなく秋の予感を感じざるを得ない。

 

秋。

 

あのしんどくて、でも豊かで贅沢だった孤独な秋が始まる。秋に生まれてきっと秋に死んでいく気がする。

 

 

 

Op.118 No.2 Intermezzo 100年前のあなたに敬意を込めて

 

何かを書き留めないと手から零れそうで怖かったあの日々から、「忙しさ」を理由にそれともおさらば出来そう。大事なことだけちゃんと淘汰されていくこのからだの中で、全てが繋がって網目模様に広がっていく。色んな柵からちょっとだけ抜け出せた日々は本当に色付いて綺麗で、君とどこまでも行けそうだ。

月明かりがあんなに明るいなんて思わなかった。うっすらに照らされる君の横顔が綺麗で、優しい目をしていた。空気にも音があることがわかった。どこから聞こえる音もみんな「意思」があって、心が暖かくなった。意識の及ばない音なんてどこにもなくて、静かに始まっては静かに終わる。それが集まって波みたいになって、自然界のありとあらゆる音がアンサンブルのように聞こえてくる。ここに帰りたい。

 

 

やっほー、元気?っていうぐらい柔らかな挨拶でアンサンブルが深まっていく。みんな誰かを求めて生きていて、誰一人として孤独じゃない気がした。

完璧主義の後ろ指を指されるのが怖い臆病なあの子は、沢山の人から愛を貰って今成長しようとしています。どうか、あなたがそこに居てくれるだけで私は救われるんだよって伝わりますように。こんな私だけど、また沢山のキスをください。そしていつか、あなたがそこにいるだけで良いんだよって抱きしめてください。

 

素敵な夜を。

 

 

興味深い話

 

作曲家の精神が宿る譜面の、その音たちを浮かび上がらせて弾く音楽はやはり作曲家のものであり、僕ら演奏家は完全なる媒介に過ぎない。

いや果たしてそうなのだろうか。

作曲家のものでもあり、だがしかし、一旦は演奏家自身の体の中に巡らせて出したその音楽は、同時に演奏家のものでもあるのではないか。だから、誰かの演奏を聞いて素晴らしいと感じさせる力は作曲家のものだけでなく、演奏家本人の力でもあるのだということ。

 

とても興味深い議論で、だけど二人の言っていることは真逆のようで全く一緒だった。

 

あなたには分かるかしら?

 

 

いただきます

いつの日からか、ご飯を一人で食べれなくなった。食べれるけれど、食べながらどうしても寂しい気持ちでいっぱいになった。

「前はこんな風なことはなかったのになぁ。」

と独り言をぼやいて、その音でさえ寂しく感じる。

いつからこんなに弱くなったのかも分からなくて、でもやっと最近弱くても良いのかなって思えるようになってきた。

私と考え方も違って、今まで会ったことない人間で、今まで存在は知っていたけど深く関わることはなくて、毎日色んなものを貰っている。

「頑張れ」だとか「逃げるな」とか「耐えろ」っていうような世界からはほど遠くて、自由で、いつも進んでいて、まあこれも良いのかなって思う。弱くなったと思う人もいるだろうけれど、これ本当に弱いからこう思うようになったのかな?

 

世界がRPGで出来ている。その時々にしか会えない人達がいる。きっと、一年前の私ならこの出会いに意味がなかった。図ったように出会わせてくれた神さまとやらに、ありがとうって小声で呟きながら一人でご飯を食べた。

 

 

 

 

第一フェーズとしての発見と思考

 第一に「まずは人のせいにしてみる」

 

ここ最近立て続けに私自身が蒔いた不幸の種が時期を見計らったように一気に花咲かせている。自分の甘さだとか、融通の利かない真面目さとか、こうして今も必要以上に自分を卑下してしまう癖とか、長年頼ってきた全てにおける思考回路はなかなか心機一転して前進させられない。それもこれも私の大事な人たちがかなり冷静に私のこと見てくれて、助けてくれているからこうして今はただ辛うじて生きている心地を確かめられる。

いつもだったらまた「やってしまった」と思うだけなのかもしれない、と思うとゾッとする。ついに外からぐっさり刺されてしまった今、どうも今回の事件に通底する要素として考えられること、それは考えるピントがずれていたことのように思う。

自分のことになると何でこうも冷静に見れないんだろう、とか、相手に多少の非があっても謎の謙虚モードが発動して全て自分が悪いんだと抱え込もうとする癖とか、とにかく相手を詰るという意思そのものが欠落しているのかもしれない。それはここまでぬくぬくと温室育ちで成長してしまったからかもしれない。あーん分かんないよー、助けてどらえもーん、といった次第。

考えすぎだよ、と言われた次の日には考えが足りないと言われてキレそうになるのも、多分きっと考えるべきピントがずれているからそういわれるんだということも最近少しずつ分かった。

誰かに昔、「人の顔色伺いすぎ」って怒ったような気がしたけれど、あんなの全部ブーメランで自分だっていつだって誰かの顔色伺っている。自分が色んな事をやりやすいように周りの環境を「波風を立たせない」という目的で顔色伺ってたけど、いつの間にか顔色伺うことが目的になっているのは怖い。私、いつの間にこんな縛られていたんだっけ。あれ。

 

上記とは別の話として。

間違いとか失敗をなんだか過剰に恐れているような気がして、今回の第一フェーズ「人のせいにしてみる」を反映させるとするならば、それは紛れもなく私の親と母校にある。やっぱり昔から「後ろ指刺されるようなことはするな」「出る杭は打たれる」とか言われてきたのは言われてきたし、母校だって「正しい道を歩く歩き方」を教えてくれたとは思う。そこらへんはき違えると変に保守的になるし、現に自分から出た錆をちゃんと掬って背負っていく責任みたいなものは、私には少ないのかしらと思う。

 

次になんで人のせいにするのが嫌なのか考えてみる。人が誰かのせいにしているところを見るのはそこまで苦痛じゃないのに、いざその立場に回れば途端に嫌気がさす。誰かのせいにしている自分がカッコ悪すぎて受け入れられない。結局はカッコつけのために色々と余分な荷物をしょい込んでいるのかな。全部自分が背負ったら状況がましになるとでも本気で思っているのかな。他との同調の世界が居心地がよくて、反発がそこまでいけないことなんだろうか、本当に。

 

ここまで少し長く整理してこう変わりたいって書いてみたつもりだけど、事態は一向に良くなる感じは正直あまりなくて、ここまでくると自分に対して実は口だけで本当にそう思ってないんじゃないの?と疑問を投げかけたくなる。

 

 

終わり

 

 

ほんとどうかしてるみたいだけれども

 

世の中に普及する「信じる」のうち、本当の「信じる」にはかなりのエネルギーを必要とすると思う。

昔、誰かに「信じるって口にした途端にそれが嘘になっちゃうじゃない」って言った気がする。だって、信じてるって言葉にしたらまるで信じてないからそう言ったみたいじゃない。

今の「信じてる」はどちらかというと「念じてる」方の「信じてる」だ。こうあってほしい、そうであってほしいという期待が叶う時もあれば、見事に裏切られていく時もある。それでも楽しいし、そういうサプライズは本当に好き。

夏の夕立が狂おしいぐらいに好きなことを思い出した。暗雲に雷がゴロゴロと喉をならして、私は今か今かと雨を待つ。一気に雨の匂いが地面から立ち上ってきて、それは昔の記憶を強烈に呼び起こしてくれる。大雨のなかで水溜まりに飛び込んで裸足になってはしゃいだの、覚えてる。きちっとした正装も、ワンピースも、体さえ着ていなかったあの頃を思い出して、今から絶対に何か起こるその「何か」にじっと目を凝らして息を潜める。

 

いつでもあの頃に帰れそう。あ、これが「信じる」って気持ちなんじゃないかって言われた気がした。

 

 

鈍色の気だるさ

 

 一夜にして街から猫が消えてどこかに行ってしまったような寂しさ。大事に握り締めて白線の上を落ちないように歩いてみる。不在の存在は嫌い。いつまでも知らないでいたい。

手持ちぶさたの感情は深い悲しみの海にまた一つ溶けていく。色んなところで関係ないと思っていた話は深い海の下で繋がっている。別の海じゃない、僕のなかに一つしかない海で温かく悲しみという感情がたゆたっている。

今日もあのメロディを口ずさむ君がいる。やっぱりソレからは逃れられなくて、クラリネットみたいな優しく甘く痛い感情の音で目の前がいっぱいになる。人間みたいで、官能的で、痛くて、確実に絡め取られていく感覚が心地よくさえある。乱暴に奪い取って欲しいっていう欲望とか、心からジワジワと痛みを感じたい願望とか、根本的な痛みをメロディに乗せて君は口ずさむ。

 

水中で目を開けた時みたいに、くぐもって見える世界へ、深い海に向かってゆっくり泳いでいく。

 

悲しみの正体がこの深い海なのだとしたら。途端に目眩がする。こんな海、飲み込まれる以外に非力な僕に何が出来ると言うのだろう。引きずり込まれるように最後のゴングが5回なる。深い海が「君はやっぱりここに戻ってきてしまう運命なんだ」と囁いているよう。

肺が潰れそうな呼吸を一つ。君と心中。

 

 

暑さで頭がやられている

 

今、こうしてはてなを更新するには何か特別な意志があるわけでもない、紛れもなく地元で一人取り残された自分をジワジワと殺してくる夏の暑さと眠気とダルさを片手間に相手しつつ会うべき人との再開を待っているだけ。要するに暇である。

阪急電鉄が好き、という台詞は既に100回は繰り返したし、地元が恋しいと言うには若すぎるこの精神的に年端の行かない微妙なお年頃にいつも地元は温かく迎えてくれる。というか暑い。

恩師に会って、近況を喋り、高校の友達に会い、一人で奮闘していた東京を思い出す。もうどこか完全にここではないどこかが私の場所になってしまった今、やっと私は関東の人間になったのだと自覚した。新大阪に着くや否や勝手に訛り出すこの口だって、見てくれが関西人なだけであってやはり心が求めているのは東京だった。関西は好きで東京は好きじゃないけれど、消去法でいくと東京なのだ。私が私を前に進めたい地は東京にあって、関西にはないのかもしれない。そんなことないだろうけど。私にはまだ関西が恋しいとははっきり断言できない。

昔の私を知る人間に最近の悩みだとかこんな人間になってしまったことを呟く。そうすれば「昔からそうだったじゃない!」って笑われて、あれ、そうだったっけって戸惑う。人から見た自分はやっぱりよくわからなくて、でも分からないところで困らない。ずっと井の中の蛙みたいな気持ちかもしれないけれど。

 

いつの私も原動力は「知らないことがあるのは怖い」という気持ちなのかもしれないこと、あながち間違ってはいない気がするんだ。

 

 

ほんとの気持ち

 

頭が偉い時代が終わりました。

 

長くて、窮屈で、矛盾だらけで、けれど温室。

これからは頭の時代の名残を惜しみながらちょっと背伸びをして、休憩して、背伸びをして、休憩。頭の時代もあれはあれで良いものでした。

想像が好きだったことを思い出しました。捻り出した想像じゃなくて、もっとこうなったら素敵だなって気持ち。

昔、弾きながら何考えてたのかなあ。何かを怖いと思ったことあったのかなあ。あったけれど、もっともっと愛しさで溢れてました。

頭の時代は全部の行為に意味を見いだしがち。この行為に何の意味があるのかそんなの分かりません。まずそもそも発展途上の僕たちが自分の行為に意味を持たせることの意味がよく分からないです。それは、多分、年に2回か3回「よし!」って時に意味とやらを思えたらそれで良いです。

頭の時代に携わってくれた沢山の人々に愛と感謝を込めてサヨナラのキスをします。どうも、ありがとう。あなたたちは私より遥かに素晴らしい感性や、考えをお持ちでした。どうも、今この時代の私に出会ってくれてありがとうございました。愛しています。

 

今トビウオになって空と海バタフライ。

 

頭の時代が終わることは馬鹿になることじゃない。きっと、もっと遠い地平線へ歩みを進めていけるための最初の第一歩。

 

 

憂鬱

 

今まで頭の使い方とかピントがずれまくった脳ミソとか、そういう事態に陥ってることに気付いた。

いろんな人に「考えすぎだよ」って言われ続けて、「いやいや、お前はじゃあ何考えてんの?なんで考えないの?」って言うのは随分とお門違いな返答だったらしい。特に音楽に置いては。

分かりました、どうやら私、頭と心のバランス感覚が鈍っていたそうです、出直してきます。と申し上げたところで私がワンナップキノコを摂取して大きく成長出来るかと言われたらそうでもないんですよねえ。時間がかかるんですよ、タイムタイム。宿屋に行って「いつまで休む?」「朝まで」って言って体力が全回復するような世間は甘くないんです。

言葉って一番尊くて一番底辺の存在じゃないですか?私、言葉がだいっきらいです。滅んだら困るけど、今一番滅んでほしいです。特にこの傾きまくった脳ミソには、ただの縛るための縄にしかならないみたいです。そうですねえ、言葉をなじるよりはそれを操れない管制塔をなじるべきなのでしょう。

いくら私が「心で感じます」と言っても今の私では全て頭で考えているように映るのでしょう。

 

ねえ、助けて、音楽。

 

 

世界が終わる夜に

 

 

神様がその人から何かを奪うとき、一体その心は?

例えばお気に入りの傘、思い出の手紙、言葉、大事なペット、最愛の人、若しくは自分の命。

その人から何かを奪って、残された人間は何を思えば良いのだろう。残されたものの痛みは?どうして奪っていってしまうのだろう。奪い去ったあとに残された何かに気付くのはどれだけの時を重ねた頃だろう。

 

かと思えば、奪われた命の重みの違いを感じる日々にどう向き合えば良いのだろう。電車に跳ねられた人だって、本当は同じ命の重みなはずだけど、やっぱりそこまで頭とか気持ちが回らないってのは現実なのかな。遅れた電車のことばかり考える人々が悪いとか言いたいんじゃなくて...。どうしても拭えない違和感とか、心に大きな穴が空いてしまったような何か大事なことが抜け落ちていく喪失感とか、そうでもしないと日々をやり過ごせない忙しすぎる現代人の話だとか...。

 

 

たとえば孤独な夜が過ぎ
わりと良い朝が来る
どうせ変わりやしないのに
みんな何かに手を合わせてる

たとえば虚しく時が過ぎ
馴れ馴れしい静寂が来る
しまった!もう世界は終わっていた

あの子もその子も不安ぶっ飛ばしてさ
いけてないジョークで Hey Hey Hey

わたしが神様だったら
こんな世界は作らなかった
愛という名のお守りは
結局からっぽだったんだ

たとえば砂漠で花が咲き
また不幸の種がなる
どうせ育ちやしないから
みんな何かに目をそらしてる

たとえば優しく風が吹き
後悔の兵隊が来る
しまった!もう心は穴だらけだ

今もどこかがいろんな理由で
壊れはじめてる Hey Hey Hey

わたしが悪魔だったら
こんな世界は作らなかった
命の砂時計は
結局からっぽだったんだ

暇つぶし出来る話題を
くだらない笑い声と嘘を
探し続けるの
わたしからっぽだから

わたしが神様だったら
こんな世界は作らなかった
愛という名のお守りは
結局からっぽだったんだ

わたしが悪魔だったら
こんな世界は作らなかった
命の砂時計は
結局からっぽだったんだ

 

夏1

夏の湿気のうねりが嫌いだけど、思い出がいっぱい詰まっているから嫌いになれない。プール開きの朝はこんな感じの空気。自転車を立ち漕ぎして、海風を目一杯身体で受け止める。潮の匂いを身体に満たすと自然と笑顔になった。雨の日は空気が確かな質量を持ち始めて、それらが人間を飲み込んで頭痛とか眠気とか耳が詰まった感覚といった形で襲ってくるのが面白い。確実に空気は意思をもって飲み込んできて、ああ、夏だなって思った。