C'est la vie

新大陸の湖畔

お散歩しましょう

 

二、三日前に春みたいな日があってからもうすぐ冬が終わるらしい、と分かる。

自分の中でも色んな区切りみたいなものが多方面でつけられた。何か新しい素敵なことがこれから起こるんだ、と新しい映画を見るような気持ちになる。去年の今頃はララランドを見に行ったし、海を見に行った。またこうして自分の中の「独り」の部分をゆっくり耕していきたくなる。

 

春は懐かしい気持ちになる。

少なくとも今の私の回りにいる人間は知らない頃の私を思い出す。誰にも邪魔されないこの感覚は最高。ちょっと現世からオサラバ。

昔大好きだった誰も知らない音楽を聞いて一人でムフムフ笑っている。目を閉じると宝塚の桜を思い出す。今の時期は梅が咲いている。少し恥じらいを持って咲いているように見える梅の方が好きかもしれない。メジロが色んなところで飛んでいて、少し立ち止まってはどこに行くのか見ていた。

 

絶望しているときも、前に進もうと思うときもいつも海を見たくなる。そんな時間があるなら一日中寝ていたい気もするが海にいきたい。色んなところで未熟で他人を傷付け、傷つけられまくっているこんな私も今なら受け入れられる。完璧で優しいものなんてない。

 

 

まあ多分なんやかんや書き続けるんだろうけど

 

なんかどうしても書き残したいんだって言って続けてたこのブログさえ、あの頃の情熱はどこへやら、書きたいことが見つからない。

 

どうでもいいことをポッと思い浮かべて、それをネチネチ捏ねくり回してたけど、それさえ疲れてる、最近。

文字を書いてて良かったこともあったけど、多分良くなかったことのほうが多い。

文字から離れる理由は多分沢山ある。所詮忘れるものは書いたって忘れること、結局は音でしか何かを表すことに感動できないこと、エトセトラ。

一度経験したことを絶対に忘れないように、大事に拾い集めて自分の手のなかに閉じ込めたかったから昔は文字を使った。でも、結局忘れるし、反芻すればするほど偏ってそれは歪な形となり襲いかかってきた。

どうせ、時期がくればまた分かるようになるよっていう余裕というか、なんというか、「必然」というものを信じられるようになった。物にしても人にしても、出会うべき時は必ずある。

 

というか、大抵の場合、多分忘れてない。思い出せないだけで、頭のどっかにはちゃんと覚えてる。

 

いつからか、過去の「反芻」は未来への「予測」となりそれは「偏見」となった。いや、人間って多分「過去から学んで未来に生かす」みたいな、そうして成長するんだろうけど、いささか度が過ぎた。

大して行動もしていないくせに、ネガティブな方に予測を立て、それが実現するのが怖くて結局は自分の行動に無意識に制限をかけている、みたいな感覚。

馬鹿だけど、これ思ったよりも深刻だった。

 

もっと良い意味でバカになって、ちゃらんぽらんで、行動にこそ価値が宿るんだぜ、って部屋で閉じこもってた去年の私を引っ張り出したいヨ。

 

おわり

 

 

 

一抹の寂しさ

椎名林檎

割りと一人で吹っ切れて大人を忘れた子どもみたいに遊びに興じて生きているって思ってた人が、きっとそうじゃなかったんだな、誰かに依頼されて作って外に出して今日も生きているんだなって思った。

その時の感動とか焦りとか手に汗握る感覚はもうとうの昔に遥か後ろでセピア色に傾いていた。それに素直に喜べない今があって、この前の逆輸入でも似たような錯覚に陥る。昔生まれた命をもう一度吹き込むこの活動は私のものなのに。あなたじゃないって思ってたのに。

紅白には「大人の事情」が至るところに蔓延っていて、見ているうちに一人で「あー」とか「うー」とか呻いてた。この先の人生、どうなるかなんて分からない。でも精一杯生きた私のあとに勝手に人生なんて出来てくるもんなのよ、って派手にギターと金切声で蹴っ飛ばして歌ってくれた椎名林檎は多分、もう、いない。

 

 

ことしもおわり

 

どういうわけかどこから音楽を組み立てていけばいいのか分からなくなって、弾くのを辞めてみたりCD聴いたりピアノ弾いてみたりしたわけです。一番は技術不足なんですけど、分からない、分からない。感覚が分からなくて苦しい。ずっとハチミツの中を泳いでるみたい。

 

でも上野公園歩いてたら分かったんですよ。私にも人並みに寂しさみたいな感情はあって、そいつらに飲み込まれないように必死に耐えてる節がありました。大丈夫、大丈夫、孤独だけど孤独じゃない。でも、そいつらを敢えて迎え入れようと思いました。一人、上野公園の夜道、私以外誰もいない公園。

不思議ですね、木々の葉っぱがざわめく音って少し川の流れる音に似ているんですね。

しばらく耳を澄ませていたら心の中がシンとなって、あ、私は今一人だって思ったんですけど、思いの外怖くはなかったんです。むしろ、ずっと逃げ回ってたから安堵感さえ感じました。ああ、帰ってきたね、おかえりなさい。とでも言うようにもう一人の声が聞こえました。

 

やっと、あなたのことが分かりそうになるのです。スタートラインです。

 

 

 

ふとした瞬間に思ったことなので、手短に書きます。

 

 

高校の時にお世話になった先輩が私が受験の頃に病気で死にました。

絵に描いたような、いつも笑顔の絶えない素敵な人でした。

受験のためにお葬式には行けませんでした。

兎に角早く電報を打ったのは覚えてます。

 

お別れをしなかったから、その人が死んだなんて実感も湧きません。

でも、電車に一人揺られていて分かりました。

ああ、死んだんだな。もう会えないんだ。

 

東京駅ですれ違う人達の事を想う。人生でもう二度とは会わない数々の人達のこと、思いを馳せて見るけれど、会わない。会わないと死んでいるも同然。会わない。

 

君は生きている。また明日も会える。すごいことだ。

 

 

 

光の住む街

 

新しい人とか物とかに巡り合う時は本当に胸が高鳴る。今からどんな人に会えるんだろうと期待することは、私にとっての希望だ。そんなときに、ふとした瞬間に自分が過去にがんじがらめに捕らわれていたことに気付いて、心の中で大変だったね大丈夫だよ、と声をかける。

 

古くて、長くて、希望が見出だせないものは全部セピア色に見えてくる。本能的に私の居場所はここじゃないよってサインをどこかで受信してる。ピピピ…ピピピ…

 

明日にはきっと、きっと、と思って眠る夜がこんなにも暖かくて、こんなにも幸せなことなんだって大人になって分かることなのかもしれない。

 

 

日常

 

電車のなかでの人間観察が好きだけど、知らない人の顔をマジマジと見るのはお互いに居たたまれないような気持ちになるので、盗み見る要領で車内の人間を観察する。

隣の人の洗剤の匂い、くたびれた鞄、ディズニーのお土産袋、細いピンヒール、女子高生のスカート。

今日も電車は日常を運んでいる。

 

 FaureのAu bord de l'eauが好きで、上手く発音も出来ないし上手く歌えもしないけど、煙のたゆたいとか、時が過ぎること、夢が儚く醒めること、これらの描写が心に深く棘のように刺さる。ポッケに手を突っ込み、ちょっと不機嫌そうな前髪で街を闊歩する冬の夕暮れって気持ちになる。この気持ちは決して日常ではないけれど、目の前で行われる日常とが更なるコントラストを生んで、私という身体が日常という風呂桶にぽよんとたゆたっているような気持ちになる。気持ちいい。ああ、揺られている。

どの一片を切り取ってもそれは日常で、その中で誰かがくしゃみをしたり、急ブレーキによろめいたりすることにちょっとした非日常を感じる。そういうドラマは心のどこかで求めている何かであって、それは一瞬ちょっとだけベートーヴェンを弾いてる気分にもなる。

そんなことを目の前のおじさんを見ながら考えていると最寄り駅に着いた。

 

 

Someone from the past

 

明け方によく見る夢は奥底で埋まっている私の姿を写す鏡みたい。

一心不乱に楽器を弾いている夢はきっと誰かを求めているからなのか。

例え衣装がはだけようと、足が挫けてしまえど、身体自体が脱げてしまっても。

誰かが確実に語りかけている。雨を踏む夜の上野公園で、えもいわれぬ郷愁に眩暈を覚える。

雨音に紛れて木霊する声というのは、きっと勘違いじゃなくて、昔の私の声なのだ。

後ろを顧みなかった5才の私がいつまでも私のどこかで命の火を燃やし続けている。

 

 

ランドセルと革靴

電車に乗る。

 

私がいたすぐそこが遥か向こうに離れていく。この道は海をぐるっと囲んだ。今見ていた景色がゆらゆらと方向を変えて違う世界に変わっていく。壊れたビンが光を吸ってきらきらと輝いていて、それを宝石みたいだねって言い合ってはしゃいだ。

「18日ってなんの数字だか知ってるか?二人の結婚記念日なんだ」

 

って認知症の進んだ祖父が祖母の居ないところで私に誇らしげに言った。

 

「昔ね、絵手紙でお父さんに日めくりカレンダー書いてあげたのよ。二人にしか分からないメッセージがいっぱいあるのよ。」

 

っていつまでもお茶目な祖母が優しい笑みを浮かべて私だけに喋る。

 

こんな些細な誰かを想う気持ちが細くも、永遠に続けば良いなと思った。本当に願った。

 

 

過去

 

チャットモンチーを聞いて

 

好きな人と話して

 

報われない夜を思う

 

電車のなか。

 

 

 

 

海の向こう側

銀座を歩くと誰も知らない私のことなんか、と口ずさむ。

新宿を歩くと、そこにはギターを片手に豪雨を叫ぶ少女がいる。

君の影が揺れている 今日限り会える日時計 いつもの夏がすぐそこにある証

まだ見ぬ歌舞伎町には女になった私がそこにいる。

 

沢山の憧れを追いかけて、近付いたと思う度私は自分の皮膚に付いたメッキを丁寧に剥がす作業を強いられるのです。不純物を取り除くかのように。純度の高い夏が終わり、深まりの秋が始まります。

 

 盛者必衰をいつも考えています。栄えあるものは必ず終わりを見つめているのです。

きっと夏の純度はいつ訪れるか分からない終わりに怯えながら生きていました。

でも今なら、終わりが必ずあるから今を生きようと思えるのです。

今なら潔く終わりを迎えられます。だから、今が際立ってきます。そう思わせてくれた貴方がいるのです。

 

夕日を映す海を見たことがありますか?

段々のっとりと海の向こうに落ちていく夕陽に比例するかのように、海の鏡に映る煌めきは色を濃くしていきます。

一つとして同じ型にはならないけれど、その燃えるような煌めきが、あの絵に似ているのです。

モネが最期に残した色はなんだと思います?

あんな、夕日の光を丁寧に閉じ込めたような海の色をしていました。赤いんです。もう死ぬ星のような色なのです。あの色は、きっと、人が生きた暁に見る色なんだと私、信じています。

 

そうして、地平線に隠れた光のおかげで辺りは急に闇を纏い始めます。終わりは突然やって来ますから。

 

 

青い。青い。まだ青い私。

 

 もうすぐ、誰にも会えない、一番近いあなたでさえ会えない秋が来ます。

 

太陽フレアの恩恵

 

太陽フレアのせいで世の中の多くの人が上手くいかない物事を太陽フレアのせいにしてる。私は今日も太陽フレア関係なしに空振りしてる。

 

太陽フレアが関係あるのかはしらないけど、大きな地震が起こって、なるほど太陽がちょっと本気を出せば私たちはいつでも死ねる。

人間今日やったことが全てですっての、今なら心臓の真ん中をチクチク差してきて分かる。なかなか重くて動かない自分の中心を毎日毎日ちょっとずつ動かしていく。重い石像みたい。

重たいよー、重たいよーって感じてる自分はでもなんだか大きな流れで見たらちっぽけで、太陽フレアちょっとで挫けちゃうぐらいにはちっぽけで、家族のこととかで悩むのも、そんなこともきっとちっぽけなんだろうな。

 

 

言の葉のちぎり

 

前よりちょっと言葉を紡ぐのが下手になった。

 

本を読むと不思議な気持ちになる。

 

一緒のようで決して交わらない言葉と感覚。

 

言語化不可能。

 

大好きだった君が変わっていく。

 

そんなに好きじゃなくなってくる。

 

もっと僕らは、言葉よりも

 

愛に目を向けるべきだった。

 

言葉の切れ端で滲み出るパステルカラーの愛が

 

掠れた声をあげている。

 

ここにいるよ、ここにいるよ

 

ごめんね。

 

 

 

告白

 


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夕方なのに世界が青い。ああ、まだ夏だなって思った。

酷く目眩がする。遠くから何かがやってくる。雲間を縫った光のカーテンと、それを映す青い血が底を満たしていく。

幾千もの点が線になって面になって広がりをみせるこの海が、まるで僕らの音楽のようだ。

ひとつの場所に留まることで腐りそうになる自分を何とかして外に連れ出さなきゃと思って自転車を無我夢中で漕いだ。

後から思うと全てが図られたように何か起こっていると感じるのは最早必然であって、必然で埋め尽くされた海の中に身を投げてみたい。自分の中に流れる水が、それらがやがて海へと繋がる瞬間が、一時として枯れないように大事に水源を育てていく。

この人に会うために、今日を生きてきたんだと思えることは海を見ることと一緒で、そんな君といつか海を見に行けたらなって僕は思うんだ。