C'est la vie

新大陸の湖畔

メモ

 

今あるクラシック音楽と言われる音楽は長い歴史で見れば一大ムーブメントに過ぎなくて、クラシックもまたある種の民族音楽なのだ、という考え方はかなり好き。

 

100年後、もうピアノなんて過去の産物なんだと言われる世界がすぐそこに来ているのかもしれない。

 

 

世迷言

 

全く知らない国の全く知らない音楽を耳から流し込む。

いつもと違う時間に道を歩いて、猫がいない高架下を見つめてみる。

高校の時にした授業中のノートの端っこの落書きにはもう会えない。

全部錯覚。錯覚。錯覚。

実はほんとのことなんて誰も知らなくて、事実なんてなくて全部私情とか感情とか混じってて、それが人間だから良いけれど、だったら今見てる世界が全部錯覚なんだってこともちゃんと認めてあげたい。

正しさなんてなくて、全部おかしいところがいっぱいで、でもおかしいままにほっとけない私たちは何とかして「おかしい」度合いをマシにしようと頑張ってる。おかしくない、おかしくない、お前がおかしいんだよ。誰もが普通でありたいもんね。

真実とか事実だけをもう追い求めるのはあまりにバカらしくて、これからはその先に見える個人的感情に焦点を当てることにするよ。ほんとにもう。

 

 

どこか昨日の自分とは違う自分でありたいって願っていて、だから毎日化粧をしたりしなかったり、ヒールを履いたり、リュックに変えたり、ちょっとずつ昨日とは違う自分にコーティングしていく。でもそれは理想に近付くための行為ではなく、どちらかと言うと身を守る為の引き算の行為だ。多分、昨日の自分になりたくないという衝動から来るおしゃれ。

泣いたり喚いたり出来ないのは受け止めてくれる人がいるって信じられないからだと思う。こうして人に責任転嫁しようとする心根が腐っている。こんな私を隠すためにコーティングして外堀から埋めていってしまう。そうしたらいつの間にか泣き方とか喚き方を忘れて、何かを主張するための内側が腐っていく。

理想と現実の区別をつけて傷つかないように折り合いをつけていくことが大人になるということだとすれば。

もっと自由になりたい。もっと自由になりたい。もっと自由になりたい!

下らないことで悩む私をどうぞ笑って。

愛はどこへ。意志はどこへ。自由はどこへ。

 

 

コンプレックス

 

打ち明けたい。私たちは世界中のささやかな秘密をこっそりと打ち明けたい。心に留めてはいけないのだ。私たちが今どこに向かっているのか、言わなければ世界中の秘密が腕の外へ零れて葬り去られてしまうのだ。

きっと打ち明ける必要があるのだ。旬は待ってくれない。今しかないんだ。

紙のための音楽じゃなくて、心のための音楽であるように。秘密を打ち明ける必要があるのだ。

 

って夢の中でジェニファーがしきりに言ってきた。

 

 

それでも世界は廻っている

かたつむりは、言葉とか意思とかどうでも良さそうでどうでも良くないものにいつの間にか足を取られています。

無法地帯の沼の存在を誰よりも恐れているから、きっと君は誰よりも竹を割ったような性格でありたいと思うのかもしれません。全てがぬるま湯に見えてしまうその目からは絶望と絶望と絶望と絶望を隠すための言葉、言葉、言葉。本当は熱い命の砂時計を心に流し込むための言葉が、心が、意志が欲しいのです。しかし、こんな体でそれは叶いそうにもありません。

今日も意思を言葉に詰め込む流れ作業です。ベルトコンベアーで流れてきた気持ちをラッピング。あなたも、あなたも、くるんで、くるんで。疲れているから形も大きさもバラバラ。そんなこんなで今日もかたつむりは誰かに嫌われながら、でもこんな嫌われ役も買って出るぐらいじゃないと上手く世界が廻らないのかもしれない、と、投げやりの目で意思を言葉に詰めていきます。この慢心とも言える心が、意志が、言葉が、無法地帯の沼で暴れる獣を沈めるただ一つの手立てだと信じているから。

 

 

相方

一時的に息を止めてしまった君に僕はなす術もなく君の横たわった体を意味もなく触り続ける。

目覚めた君はもう何も覚えてないようで、一緒に過ごした日々が一瞬にして消えてしまった喪失感とは如何なるものや。本当に涙が出そうになった。

僕は何とかして君に思い出してほしくて、また一緒に笑ってほしくて、いろんな場所に一緒に行きたくて、蘇生とやらを試みる。

そうして目覚めた君は「世界に色があって良かったね」だなんて呟いて、僕をまた泣かせるんだ。

 

 

絶望している君、可愛い。

ちょっと厭世的な君はかわいいよ。もっと世界がピュアなものだと信じていたんだろ?思ってたよりも世界が下らなくて、どうしようもなくて、それに気付いて絶望しているんだろう?可愛いよ。絶望している君、可愛い。

続・宇宙旅行計画

サムエルはどちらかというと夢想家だった。夢想家な上に冒険心が強かったけれど、やんちゃが災いして怪我したり骨折したりと色々大変な奴だった。

その日、私とジェニファーは基地に到着するなり宇宙旅行についてサムエルに打ち明けた。当然彼も目を輝かせて私たちの話に乗ってきた。サムエルは最近読んだ絵本によると、ちぎれ雲が綿菓子で出来ていると信じていたから、遂にこの手で確かめるときが来たのだと張り切っていた気がする。

私たちは、宇宙船に何を持っていくのか考えた。やっぱりここまで来ると雲の正体とやらを暴きたくなる。大きな大きな泡たて機で雲をかき混ぜたらきっと美味しい砂糖水が落ちてくる。「これできっとみんな幸せだわ!」とジェニファーが叫んだ。

そういえばこの話をしたときにサムエルがあまりに興奮して梯子から落ちて骨折した気がする。本当に気の毒だった。色々ハプニングはあったものの、そんなこんなで僕らの宇宙旅行計画が本格的に動き出した。

 

消費

こうして言葉とか目に見える形で残す気力さえこの湿気がすべてを掠め取っていく。鈍く冷たいナイフのようなその切っ先がいつ自分の首元を掻ききるのか、そしてそれは誰でもない自分の手によって行われてしまう恐怖。

別に私がやらなくてもいいじゃん、だとか、誰かがやってくれるからわざわざ私がやる必要がないじゃん、っていつの間にか消費していくだけの毎日に何かが低められている。消費消費消費消費消費。一体何を生産しているのか、お手上げ。

好きなものを履きつぶす怖さとか

豚のようにがめつく消費するだけの日々とか

大好きだった人たちの顔を忘れていくことの喪失感とか

最近はその喪失感でさえ感じにくくなっている心の鈍さとか

時間の経過とか

ヒールを履きたがる自分とか

脱ぎ散らかしたくなる私とか

どっちが本当の自分なのか逡巡した挙句どっちもなりたい私だったこととか

白々しい言葉たちに裏切られた夜とか

 

表情筋が緩やかに死ぬ。

 

でもそんな乾ききった無味無臭のうちに、今日ぐらいは泣いたっていいじゃんとか、お前はお前だよって臭すぎる言葉に声を上げて泣いてしまいたくなる日もある。大量の海が内側に押し寄せて、ただの反感と、恥辱と、共感と、生産がごちゃ混ぜに漂流してきた。

傷つけたならごめんなさい。でも本当に、私にとって誰も欠けてはほしくない人間だらけなんだ、この世界。

 

 

 

計画

ジェニファーの家は大きかった。

大きな庭に大きな遊具と大きなくすの木が生えていた。もう今ではどんな顔をしていたか覚えてないけれど、その茶髪のくるんとしたカールが素敵だった。

大きな遊具には梯子が掛かっている。2階が僕らの基地だった。ちょっと分厚い英語の本と綺麗な石と美味しいお菓子を広げたら、ちょっと出来るキャリアウーマンじゃない?ってジェニファーが言った。お気に入りのお人形は汚れたら嫌だから部屋に置いてきた。

大きなくすの木には自家製のブランコが掛かっている。それを漕ぐときっとお空の青さを突き抜けてどこまでも行けるんだと分かっていた。ジェニファーが「あの青の向こうには宇宙が広がっているのよ」と、覚えたての知識を披露してくれた。きっと私たちどこまでも行けるわよ、って本当に信じていた。まあ本当に行ってしまったらママが悲しむわ、ともジェニファーが言った。

私たちは基地に戻って宇宙旅行の計画を立てた。一大プロジェクトだから慎重に、だけど大胆にいかないといけない。まずはどこに行く?ってなったから適当に火星あたりを設定した。セーラームーンの火星役の子が好きだったから火星にした。寂しがりのママにはお人形の側にいてもらおう。

明日学校で会うサムエルにこの計画をこっそり打ち明けてやるの。きっと驚くわ。

 

 

伝言ゲーム

 

音楽と想い、どちらが先に来るんだろう。

言葉と想い、どちらが先に来るんだろう。

 

目に見えないものがより優位性を持ってるとしたら。出来れば心のどこかではそのどちらもが対等であってほしいと願っているけれど、テレビのコメンテーターの言葉はどこか薄っぺらく感じてしまうし、言葉や記号から解釈した音楽は心がどこかついてきていない虚しさで溢れている気がする。

でも目に見えない世界が仮に正しいとするならば、この世界は沈黙で閉ざされていってしまう。何も言葉を発することが出来なくなって、沈黙こそが正しいとなってしまう。それはいけないことだとも思う。やっぱり主張とかはあるべきだし、最近は意見を言うことがさして悪いことでないというのも何となく分かってきた気がする。

果たしてこの二項対立は優位性云々の話ではなく、どちらに比重がかかるかってだけの話かもしれないし、とにかく今出来ることは目に見えるものが薄っぺらくならないことに努めるだけの気がする。

脳みそっていうのは意外とバカで、実は身体の方が賢くて、もっと言葉とか音楽が脳みそターゲットじゃなくて、皮膚感覚で馴染んでくれたらこんなに悩むこともないのかもしれない。何もかも命令したがる脳みそは一旦おやすみしてもらった方が解決しそうな気もする。

そうなると、もっとこの身体を色んな感情に晒していく必要がある気がする。例え傷つくとしても。

 

 

幸せ

 

あんなに高校の友達と会うことを拒否し続けてたのに、そんな悲しい決意も脇に置かれて懲りずに会いに行く。多分、この気持ちは強がりかもしれないし、全て若さで説明をつけてしまいたいぐらいには私も若い。

帰りの電車は人身事故ですごい遠回りをした。あまり好きになれない黄色い総武線に乗り込んで、奪われ行く睡眠時間を思って京葉線を呪う。まあ別に30分早く帰ったからってその時間分の価値を積み上げる自信も気力もない。

変わり行くことが良いことかどうか、という問には多分多くの人がぶち当たっている。良い方に変わるなら変わった方がいいよね。でもそれっていつ「良い」って分かるんだろう。変わり果ててしまった同級生達をインスタグラムで見ながら「みんな変わったよね~」って隣で呟く君も日々変わっているだろうに。私も変わっているよ。変わらない人なんて居ないよ。などと言うには何か物足りなさがあって、自分でもよく分からなくて言うのを止めた。

素が美人だったのに今やキャバ嬢みたいになっているあの子だって、浪人しているけれどライブ狂になって親に黙って受験勉強そっちのけでライブに金を注ぎ込んでいるあの子だって、もう昔の顔がどんなだったか分かんないぐらいに大学デビューしたあの子だって、君はもしかしたら幸せなんだろうし、だから今の君の姿がそうなっているわけであって、そこに私が到底彼女たちの幸せを臆測でも決めつけることは出来ない。こうして本当に自分の将来もよく分からないまま好きなことばかりしている私だって。迂闊に口も滑らせたくない気がして、ただ頷いてみた。

 

倫理で一度は教えてもらう、昨日の君と今日の君は果たして同じ君なのかっていう話、すごく好きだった。物質的にも今日の僕らは昨日の僕らとは違うし、僕らという器のなかに入っている僕らの正体も毎日違うし、気持ちも気分も、変わらないものの方が少ないこと、知っておいてほしい。幸せってなんだろう。今日がいつの日か変わることが怖いと思った日の応援歌になりますように。

 

 

雑記

 

どうやら言葉と自分の関係について悩んできた時間と思考の積み重ねは無駄じゃなかったのかもしれない。多分まだとんでもなく甘くて、未熟で、そんなもんじゃないのかもしらないけれど、そういう風に気付かさせてくれた人達にはとても感謝している。

向き合ってきたいろんな人や本が衝撃をくれて、なにか私がなりたい姿やあるべき場所に少しずつだったけど言葉は連れてきてくれた。自分が何が苦手で、何が難しいのかも言葉が教えてくれて、時々それを携えることの難しさと厳しさを教えてもくれるけれど、どうしても言葉が音楽と同じぐらい好きなんだと思う。言葉が好きだから、音楽も好きなのかもしれない。言葉の不都合さや効力の強さや、それが故にこちらを縛ってくる危うさから救ってくれるのが音楽なのかもしれない。

 

先人たちが色んな想いや言葉を通して智彗を言葉の壺の底に優しく寝かせておいてくれる感じがして、色んな感情が美味しい言葉たちのおかげで美味しく仕上がっていく。

 

 

 

メモ

 

昔家族と泊まったホテルのロビーの匂いとか、プールに入りたくて、学校に行きたいとわくわくしていた七月の朝とか、梅雨に見られる一瞬間の晴れ間の時に見られる六月の空気とか、そんな断片的な記憶がどれぐらい音楽と結び付くのかが気になる。

 

まとまりのない話たち

 

世の中には二種類の言葉を駆使して二面性のある自分を揶揄する人間がいて、その人たちが使う言語が全く違ってくるのは至極当然の事なのだが、それは結果として自分の目の前に「選択肢」としてぶら下がって来るわけだから多くの混乱を引き起こし、だからじゃあなんだよって訳がわからないまま家路につく。

どの物事にも裏と表、陰と陽が存在しているのは確かで、もしかしたら白と黒以上にある側面というのは存在していて、だからグレーとかヤバイ色が出てくるわけなんだけど、いつまでもある側面から見た景色に固執し過ぎるのは危険なことだというのは赤ちゃんでも分かる。何にでも保険をかけたがるのは私が自ら進んで保険をかけている、と言うよりは保険をかけさせるように促した昔の環境が原因だし、こんなこと人様に言えば人のせいにするなと叱られて当然なんだけど、なんかそれはそれでムカつくから見えないところでこうやって文句を垂れる。

毎回同じところで躓いて、何でだろう何でだろうって逡巡して、結局は同じ場所に帰ってくるアホらしさにムカついて、原点回帰とかそんな生ぬるい感傷になんか浸ってやらないからな、私は。お前は一生そこでうんうんって頷いて感慨にでも耽ってろ、って過去の私に悪態付く。そうでもしないと一生同じ場所から抜け出せないじゃん、って同族嫌悪とそこに微かに存在する共感をくちゃくちゃに丸めてゴミ箱に捨てよう。

遂に教職を取ることをやめた。順調にエリート優等生街道(笑)から落ちこぼれに歩みを進めている。目に見える形での決別は最高に気持ちが良くてその反動に来る閉塞感に息が詰まる。たった一コマのために往復三時間を費やすほどあの学校は魅力的かと問われたらヤバイヤバイヤバイ。考えない方がいい。数人にしか言ってないのに、次の日には話してもない人間から「教職やめるんだって?」って言われた。早くあんな狭いコミュニティから抜け出してやる。それか誰にも見えない暗いところでひっそり生きていたい。それで演奏家目指すとかどういう神経してのって話になるけれど。まあ大して人はそんなに自分のこと見てないよなって後になって自意識過剰な思考全体に恥ずかしくなるのもいつものお決まりで、結局いたちごっこじゃんって振り出しに戻る。

文章が下手。そんなことを思いながら最寄り駅の高架下に住み着く猫の頭を撫でる。不在の存在を認めたとたんちょっと涙が出そうになって慌てて自転車を漕ぐ。空を仰げば飛行機が今日も飛んでいて、そう言えばあの人が飛行機にもちゃんと道があって毎回決まった場所を通るって教えてくれた。私が知らないことをよく教えてくれる。それから意識してみたら確かにいつも同じ場所を同じ方向に飛んでいく飛行機が見える。不在の存在ってずっと居ないということが続くわけで、不在に気付かなかったらそれは別に不在でもなんでもない。ショパンノクターンとか舟唄とかベタな曲ばかりがぽっかり空いた心を絡め取っていくようで、無性に涙腺を煽ってくる。

 

知らないことを教えてくれるのは好き。こんなつまらない原点回帰から手を取って連れ出してくれそうだから。いつまでも同じ場所に居るのはイヤ。よちよち歩きの自分が好きになれない。なんか本当にひっそり生きていたい気分だ。

 

関係ないけど、5本指ソックスは正義だと思う。コンクリートに舗装された床を歩き回る現代人の、あり得ないほどにバランスを取れなくなった足裏とあり得ないほどに膝にかかる負担、これらの原因ともなる扁平足はこれで少しは改善されると思う。どうも足の指を使わない歩き方は外反母趾になるらしい。健康増進の一環として定期的に5本指ソックスの日を全国的に設けたらいいのに。